札幌地方裁判所 昭和45年(行ウ)2号 判決 1973年9月28日
原告
鷲谷千代
札幌労働基準監督署長
被告
大畑正一
右指定代理人
宍倉敏雄
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一 申立
一 原告(請求の趣旨)
1 被告が原告に対し昭和四〇年一一月五日付をもつてした労働者災害補償保険法に基づく障害補償費を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
との判決を求める。
二 被告
主文と同旨の判決を求める。
第二 主張
一 原告(請求の原因)
1 原告は、昭和三九年一〇月四日午後四時五〇分ころ、札幌市中央区北一条東一一丁目所在の槇新聞店に店員として勤務中、同新聞店新築工事中の屋上から太さ約一センチメートル、長さ約一八センチメートルの鉄銅のついた直径三センチメートルのロープが落下した事故により頭頂部挫傷及び裂傷、頭部打撲頸椎捻挫の傷害を受け、右傷害を理由に労災保険法に基づく療養補償給付を受けていたが、被告は昭和四〇年八月一三日に右傷害はその症状固定により治ゆしたと認定して右給付を打ち切つた。
2 しかしながら、原告はその後も本件傷害の後遺障害として、
(イ)頭頂部の骨にひびがあり、(ロ)外傷性白内障、(ハ)左眼の眼底出血があり、(ニ)寒いときには両手指先にしびれがあつてじんじん痛み、(ホ)いつも頭の中でセミが鳴いているような感じの頭痛があつて、生命に不安を覚えるような症状が残つている。
3 そこで原告は、昭和四〇年八月一八日被告に対して労災保険法に基づく障害補償給付の請求をしたが、被告は昭和四〇年一一月五日付をもつて原告のいう後遺障害は同法施行規則別表第一所定の障害等級に該当しないとして、原告に対し右請求に基づく障害補償費を支給しない旨の処分をした。そこで原告は、北海道労働者災害補償保険審査官に対し右処分の審査請求をしたが、同審査官は昭和四一年二月二八日付をもつて右請求を棄却したので、原告は、さらに労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会も昭和四四年九月三〇日付で右請求を棄却し、その決定は同年一〇月一七日に原告に送達された。
4 しかしながら、原告には本件傷害に基づく前記障害があり、被告の本件不支給処分はその認定を誤つた違法な処分であるからその取消を求める。
二 被告
1 請求の原因に対する認否
第1、第3項の事実は認める。第2、第4項は争う。
2 本件処分の適法性
(一) 被告は、原告の本件障害補償費の給付請求に基づき、原告のいう障害が労災保険法施行規則別表第一所定の障害等級に該当するかどうかを調査したところ、原告は、頭頂部、後頭部にしばしばしびれるような痛みがでる、風呂に入ると頭が重くなる旨の自覚症状を訴えた。しかし、(1)原告自身その他には異常がない旨申告していたし、(2)医学的所見では神経麻痺症状は認められず、(3)レントゲン写真上も特異所見は認められず、(4)また、頸椎に変形性骨軟骨症が認められたが、頸椎の運動は全く正常であつた。
(二) 右のとおりであつて、原告のいう障害は単なる自覚症状にすぎず、それが何らかの器質的異常に起因するものであることを医学的に説明し得るものではない。
労災保険法に基づく障害補償の対象となるべき神経症状は、右のように医学的説明が可能でなければならないし、また右のように器質的変化を説明し得ない場合(外傷性神経症)にあつては、その症状及び経過が災害や神経系統の損傷に極めて直接かつ強力に影響され、かつ、その症状が該症状の発現により日常の起居動作にも不自由をきたす等とくに重篤のものについては同法施行規則別表第一の第一四級の九号に該当するのであるが、原告についてはそのような事実もない。
原告の症状は、本件傷害に起因して心因性に発展したいわゆる外傷性神経症であつて、前記昭和四〇年八月一三日当時においても到底重篤とはいえない程度のものであるから、被告の本件不支給処分には原告が主張するような違法なかどはない。
3 なお、原告は本件傷害を含め昭和四〇年八月までに三回にわたつて負傷している。即ち、
(一) 本件傷害により療養中の昭和四〇年三月二日業務中に左頭部を裂傷した。
(二) 同月一九日業務中に自動車事故によつて第一一胸椎圧迫骨折、腰部挫傷、右膝部挫傷の傷害を負い、これについては被告は療養補償給付及び障害補償給付をしている。
三 原告(被告の主張に対する認否)
1 被告の主張2の(一)のうち、原告が被告の調査に際してその主張するとおりの自覚症状を訴えたことは認めるが、その余の事実は否認する。同2の(二)の主張は争う。
2 同3の事実は認める。原告が本訴において主張する障害はすべて本件傷害に起因するものであつて、被告主張の昭和四〇年三月一九日の受傷とは関係がない。
第三 証拠関係<略>
理由
一当事者間に争いがない事実
請求の趣旨第1項及び同第2項中原告が昭和四〇年八月一八日にした本件の障害補償給付の請求に基づき原告のいう障害が労災保険法施行規則別表第一所定の障害等級に該当するかどうか調査したところ、原告は「頭頂部、後頭部にしばしばしびれるような痛みがでる、風呂に入ると頭が重くなる。」旨の自覚症状を訴えたこと並びに同第3項の事実は当事者間に争いがない。
二後遺障害の存否について
1 原告は、昭和四〇年八月一三日被告によつて本件傷害に対する療養補償給付が打ち切られた後において、その後遺障害として請求の原因第2項(イ)ないし(ホ)の症状が残存した旨主張するのであるが、<証拠>を総合すれば、原告は前項記載の被告の調査の際には、同項掲記の頭痛及び頭重感以外には別段異常がない旨述べ、請求の原因第2項(イ)ないし(ニ)の症状については全く言及するところがなかつたし、従つて、被告も前項記載の原告の愁訴のみを対象として本件不支給処分をしたこと及びこのことは原告の右処分に対する審査請求及び再審査請求においても同様であつて、北海道労働者災害補償保険審査官及び労働保険審査会は、その請求に対する決定又は裁決に当つて、いずれも右(イ)ないし(ニ)の症状の存否については、その審査の対象としていないことが認められる。原告本人尋問の結果中には、前記被告の調査の際、その調査を担当した係官の訴外奥村行雄が、原告が前記頭痛及び頭重感以外の本件傷害に起因する障害の存在をも申述しようとするのを阻害したため右(イ)ないし(ニ)の症状が本件障害補償給付請求の対象とされなかつた趣旨を述べようとするものと解される部分があるけれども、<証拠>に照らしてたやすく措信できないし、他に右認定を妨げる証拠はない。
2 そして右(イ)については、<証拠>を総合すれば、原告の頭蓋骨には前記昭和四〇年八月一三日現在においてももちろんその後においても骨折等何らの異常も存在しないことが認められるし、同(ロ)、(ハ)については、<証拠>を総合すれば、原告は医師加藤道夫によつて、昭和四一年一〇月三一日に「左眼網膜出血兼結膜異物」、昭和四二年三月二三日に「網脉絡膜委縮兼未熟白内障」の診断を受けたことが認められるけれども、このうち後者については、<証拠>によれば中年者に通常起り得る老化現象の一種にすぎないことが認められ、この症状及び前者の症状並びに(ニ)の症状と原告の本件傷害との間の因果関係の存在については、本件の全証拠を検討して見ても、これを確認しうる資料がない。
3 原告が、本件不支給処分当時、本件傷害に起因するものとして頭痛及び頭重感の存在を訴えていたことは前記のとおりであり、<証拠>を総合すれば、原告がその後においても右症状及び請求の原因第2項(ホ)の症状を訴えつづけていることが認められる。
そこで、原告の前記の症状について見るに、<証拠>には、原告の頭痛の大部分が本件傷害と関連性があり得るものと考えられる旨、<証拠>には、脳外科領域にて頭重感あり労災一四級に相当するものと認める旨の各記載があるけれども、<証拠>によれば、前者は原告の訴える頭痛と本件傷害との因果関係が明らかではなかつたため、このように記載し、また後者については、患者の主訴のみでも労災保険法施行規則別表第一の第一四級に該当するとの判断を前提として記載したものであることが認められるのであつて、これをもつて原告の主張する障害の存在を認定するための資料とすることができないし、かえつて、被告によつて本件傷害による療養補償給付が打ち切られた前記昭和四〇年八月一三日現在においては、原告には脳神経麻痺症状も器質的異常も認められなかつたことが認められる。
三本件不支給処分の適否について
1 右のような症状を原告が訴えることから、これをそのまま労災保険法に基づく障害補償給付の対象とすることができるかどうかについてであるが、<証拠>を総合すれば、いわゆる行政解釈基準としては、愁訴のみでは障害補償給付の対象としない旨の解釈が採用され、この解釈は本件処分時においてはもとより現在においても大綱においては変更されていないし、労災保険の実務もそのように運用されていることが認められる。そして、この解釈は、神経症状の存在を理由に障害補償給付の支給を請求する者がある場合、真に労災保険による保護に値いする者と症状を不当に誇張して障害補償給付の支給を請求する者ないしいわゆる詐病者とを区別し、労災保険制度の適正かつ公平な運用を期するうえにおいては、必ずしもこのような取扱が不合理であるとはいえないし、この基準の内容自体も、これを目して不当としなければならない点も見当らない。したがつて、原告の訴える前記症状が労災保険法に基づく障害補償給付の対象となる障害に該当するかどうかについては、右症状が何らかの器質的異常に起因するものであることが医学的に説明可能であるとか又はその症状が災害や神経系統の損傷に起因し、治療によつても回復せず、その経過が精神医学的に説明可能であるとかが明らかにされなければならないのである。ところでその証明責任の帰属をいかに解すべきかであるが、労働基準法上の災害補償の要件及びその範囲が労災保険法上の保険給付の要件及びその範囲に対応するものであることは労働基準法七五条以下の各規定と労災保険法一二条以下の各規定との対比において明らかであるのみならず、労働基準法八四条が、同法所定の災害補償事由につき同法による災害補償に相当する労災保険給付が行なわれるべき場合においては、使用者は労働基準法による災害補償責任を免れる旨規定する趣旨を参酌して考えると、労災保険が、その本質において講学上の責任保険に属するかどうかの点はともかくとして、すくなくとも、その構造、機能の面においては労働基準法上の使用者の災害補償責任の発生を保険事故とする責任保険の性格をも帯有するものであることは否定し得ないところであるし、また、労働者が労働基準法七五条以下の規定によつて使用者の災害補償責任を追求する場合においては、その災害補償事由の存在につき証明責任を課せられることは右各規定の文理に照らして明らかであること等を考え合わせると、労災保険法に基づく保険給付の支給を受けようとする者に対しても右保険給付の要件をなす災害補償事由の存在についての証明責任を課せられるものと解釈しなければならないのであつて、このことは、実定法上、労災保険給付の支給を受けようとする者に対して受診義務を課する労災保険法四七条の二、場合を障害補給付に限つてみても、該給付の支給を受けようとする者に対し障害の部位及び状態に関する医師等の診断書、エツクス線写真その他の資料の添付義務を規定する同法二二条の三に基づく同法施行規則一四条の二の各規定が存在することによつても、これを裏づけることができるのである。
2 これを本件についてみると、原告主張の症状が本件傷害に起因するものであるか否か、これがあるとして本件傷害後どのような経過をたどつて現在に至つているかについての医学的な説明は本件全証拠を検討しても存在しないし、かえつて<証拠>を総合すると原告は精神科、神経科等の専門医による精密な診断ないし鑑定を拒否しており、これが右医学的な説明の不存在の原因となつていることが認められるのであつて、結局愁訴以上に原告に労災保険法に基づく障害補償給付の対象となるべき障害があるということはできないというほかはない。
四以上のとおりであつて、原告の本件障害補償給付の請求を容れなかつた被告の本件不支給処分には違法のかどがないことに帰するから、右処分の取消を求める原告の本訴請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条の規定を適用して主文のとおり判決する。(原島克己 稲田龍樹 前川鉄郎は転補のため署名押印ができない。)